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シウダーデルエステから西に50kmほど行ったところに、
Yguazu(イグアス)市というところがある。
この町は、1961年からの日本人の移民から生まれた町だ。

移民についてはあまり知らないかもしれませんが、
南米にはたくさん日本人移住地があり、
有名なサンパウロの日系人街もそのうちの1つです。

ここイグアス市もまたその1つで、
1990年代にヤクルトスワローズで活躍した岡林投手の出身地でもある。
今では約180世帯、900人の日系人と、9,000人のパラグアイ人が住んでます。

移民は、第二次世界大戦前後に、
ペルー、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビアなど、
政府推進の下、南米各国に移民が行われた。
日本政府は、(戦後の)物が乏しい時代に
少しでも人を減らしたいために移民を奨励し、
受入国は農業開発のために移民を受け入れる。
移民者は、戦後の貧しさから逃れ、新しい土地に夢を求めて海を渡った。

↓移民時の荷物。
060510a.jpg

↓移民時のパスポート。
060510b.jpg

↓移民後の生活用品。
060510c.jpg

↓移民の広告ポスター。
060510d.jpg


ここパラグアイも同様で、「明日の国パラグアイ」と宣伝され、
機械を用いた大規模農業ができると信じて移民した人が多い。
(本当のところは、やることすべて明日に回す「明日(マニャーナ)の国」で、
 聞いていたことと実情は大きく違ったらしい。)

元々パラグアイは農業移民を受け入れるという条件だったので、
農業をやっている移民が半分以上を占める。
主に、大豆と小麦を作るのが盛んだ。
もちろん町を作り上げるまで、かなりの苦労があったそうだ。


僕らがここに来ると、いろんな人が声を掛けてくれる。
道端では普通に挨拶をしてくれるし、どこから来たの?と話しかけてくれる。
役場に行けば、事務局長さんが時間を割いてくれて
僕たちにいろんな話を教えてくれるし、
仲良くなった人からも、移民時の船での話、農地を切り開いた話、
ここであった思い出深い話など、いろんなことを聞かせてくれる。

年齢に関係なくご近所同士でお話したり、
時間に追われることなく生活しているのが、羨ましく感じた。
今の日本(都会)がなくした風景のように思えた。

↓イグアス市の街並み。赤土と青空のコントラストがきれい!
060510e.jpg

↓公園で遊ぶパラグアイ人親子。奥には鳥居があります!
060510f.jpg

↓移民の様子を表した壁画。
060510g.jpg

↓岡林投手も投げてた野球場。
060510h.jpg



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2006.05.10 Wed l パラグアイ l コメント (0) トラックバック (0) l top

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