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皆さん、バスに夜中の3時に乗車したこと、ありますか??
そんな経験、まず、ないですよね。
無いままで、いいと思います。
すっごい、大変でした・・・。


アスンシオンからサンタクルスへ行くためのバスに、
途中の町から乗車をせねばならなかったため、
夜中に、バス停も無い路上で、ペンライトを振り振り、
バスを待つことになったわけです。
こんなひろーい道路なんです↓
060518a.jpg


このバスを逃すと、100ドルパーになっちゃうので、必死。
バス会社のおじさんに、
「夜中の2時ぐらいに通るから、1時半くらいから待ってたらいいよ」と、
ありがたいアドバイスを受け、バカ正直に、夜中1時半から路上で待機。


ところが、待てど暮らせど、バスは来ず・・・。

最初は、満天の星空と、幅5メートルくらいの広い道路にはしゃいで、
「昼間じゃこんなことできないだろう大会」を始め、
道路でねころんだり馬飛びしたり逆立ちしたり駆けっこしたりしてたんだけど、
それも1時間もすると飽きてくる。

「来ないね・・・。」
「・・・。」


徐々に無口になる二人。
3時前。
星空に怪しい雲が出始め、雨の気配・・・。
ニワトリが鳴き始めた。

「・・・・・・・・・。」


すると、遠くのほうで、バスらしき光が!!!

「おおおーーー!!あれじゃない!?」



ところが、これまた待てど暮らせど、近づいてこない。
かなり遠いらしく、見えてからこちらに来るまでかなり時間がかかる。

「もうすぐもうすぐ♪」
わくわくしながら、意味無くペンライトをグルグル振り回す。


ところが、いきなりバスが、ライトを消して、停止!!

「何!!??またバスジャック!!??」
「んなわけないやろ~。」

でも、一向にバスが動き出す気配が無い。
行って、話しをしたいけれど、
かなり遠いところに停まってるので、あそこまでいくのはちょっと・・・。
仕方ないので、ワンコ並みの脚力を誇る、三太郎を派遣。
ワンワンと、遠くのほうへ消えていく後姿に手を振っていると、
ん??もしや・・・、バスが動き出したーーー!!??


ひえーーーやばいやばい!!!!
必死にペンライトをぐるぐる振り回すが、
気づいてもらえず、無情にもバスは通り過ぎて・・・・。

「ひやーー!!待って言うとんのに、待ってぇやーー!!(怒)」
日本語(しかも関西弁)で叫びながらバスのお尻を追いかけて必死に走る!!

「ちおり~~」
ん?後ろから、のんびりとした声。
あれあれ??三太郎が、バスと一緒にこちらへ到着。
「へ!?何で!?」
「あれ、違うバス。途中で追い越していきよってん。」
・・・。追い越したバスを、本物のバスと間違えて必死に追いかけてたワケですか。


結局、私達の乗るバスは超ボロバスで、壊れて停まって修理していたみたい。
何とか乗れたものの、車内はホコリまみれ、砂まみれで、
その後またパンクするわ、故障して停まるわ、
がたがた道で天井で飛び上がって頭打つわ、
散々な目をして1日かけてサンタクルスへ。

途中の景色はなかなか面白かったものの・・・。
旅人の皆様、このルート、あんまりオススメしません。ハイ。

途中で見つけた「酔っ払いの木」。これで昔はカヌーを作ったそうな↓
060518b.jpg

へんなサボテン↓
060518c.jpg

夕方にまた壊れたバスに困る人たち↓
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2006.05.18 Thu l パラグアイ l コメント (4) トラックバック (0) l top
昨夜から、バスでフィラデルフィアというところに移動した。
フィラデルフィアは、パラグアイの西半分、
チャコ(グランチャコともいう)というところに位置する。
このチャコ、観光客が行かないのはもとより、
人口もほとんどいません、、!!
(日本の半分の土地にたった30万人!パラグアイ人口の5%です)

なぜこんな辺鄙なところに行こうと思ったかというと、
地球の歩き方に「フィラデルフィアで、メノー派のドイツ移民が
19世紀のままの生活をしている」という数行の情報が載ってたから。
更に「南米大陸の広さや孤独との闘いを知りたい人には最適」と。
おーっ、こんなこと書かれると行ってみたくなるじゃないですか!

地図もなく、バス停で教えてもらうままにバスに乗る。
何とか席は確保したけど、現地人の帰省で満員!
途中から未舗装道路に変わり、揺られること8時間半。。
夜中1時に到着する予定が3時半に到着!

とりあえず宿に入り、朝から町をうろうろしてみた。
でも、19世紀のような生活をしてる人はどこにもおらず、
町には車が走り、スーパーには普通に日用品がある。。
ドイツ人っぽい人はたまに見かけるけど、バイクに乗ってるし。。

そこで、宿の人に聞いてみると、
「それは隣のローマプラタという町よ」と言われた。
しかも、「バスは朝しかないから、明日の朝行くことね」
明日って・・・、
今日の夜中にボリビア行きのバスを取ってるじゃないですかー!
隣町といってもタクシーで行くにはすごく高いし、仕方なく諦めることに。。

それにしても、この町は突風が吹き荒れ、砂ぼこりがものすごい。
日差しも強くて暑すぎるから、みんなながーいお昼休みを取る。
だから昼間はまるでゴーストタウンのようになります。
というわけで、結局何もやることがなく、
ただ暑い中時間を潰すだけの1日となりました!

確かに「南米大陸の広さや孤独との闘い」を実感することができました。

↓だだっ広いだけのメインストリート。
 砂の道路なので砂ぼこりがすごい!
060517a.jpg


※おまけ
翌日のボリビア行きのバスで、メノー派と思われるドイツ人を発見しました!!
生活は見れなかったけど、よしとしましょう!

↓メノー派の男達。
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↓メノー派女性の服装。
060517c.jpg

2006.05.17 Wed l パラグアイ l コメント (0) トラックバック (0) l top
2日間だらっと過ごし、ようやくパラグアイの平日がやってきました!
お店は開き、人がたくさん歩いてる!
街に活気が戻ってきました~

そう、ここに留まっていた理由の1つは、3Qを実施するため!
パラグアイは、仕事がなく、スペインやアメリカに出稼ぎに行く人が多い。
外貨獲得の第3位が「出稼ぎ」というほどです。
それでも、話しかけると、みんな陽気に答えてくれる。
さすがスペイン系移民の国、明るいねぇ!

パラグアイの人達は、
グアラニー族という先住民とスペイン人との
メスティソ(混血)が95%を占める。
彼らはグアラニー族であることに誇りを持ち、
ほとんどの人がグアラニー語を話すことができる。
民族に誇りを持ってるって素敵ですねー!

パラグアイは見所があまりなく、治安も悪いって聞いてたけど、
温かくて明るい人達が多くてすごくよかった!
パラグアイはあまり有名じゃありませんが、
南米に行く際はパラグアイにもよってみてくださいね~

2006.05.16 Tue l パラグアイ l コメント (0) トラックバック (0) l top
パラグアイでは、日本人移住者が多いためか、
日本食のレストランが多い。
海外で日本食を食べると、日本米や竜田揚げ、酢の物など、
日本ではあまり感動しない食べ物に感動してます♪
でも最近では日本食を食べ過ぎて、少し飽きてきました。笑

↓日本食ビュッフェの様子。
060515a.jpg


日本食はヘルシーということで、海外でも人気があります。
そこで、外人さんの日本食の食べ方を紹介しましょう。

○お箸の使用率は、半分くらい。
  意外と使っててビックリ!しかも器用に使ってます。

○主食は白米を食べません。
  食べるのは、焼き飯や焼きそば、ポテト、パン。 
  だから炊飯器からご飯をよそってるのは僕らだけです。

○お味噌汁は好きみたいです。
  どう思ってるのかはわからないけど、
  みんなお味噌汁を飲んでます。ただし、レンゲで。。

↓お味噌汁にレンゲ。。
060515b.jpg

○ご飯茶碗もお味噌汁椀も気にしません。
  ご飯茶碗であってもお味噌汁を入れてます。

確かに外人さんからしたら、色の違いとしか感じないかも。
日本でそんなことをしたら行儀が悪いと言われるけど、
日本人に染み付いた日本だけの常識なんだなーと思いました。

以上、外人さんの日本食事情でした!

2006.05.15 Mon l パラグアイ l コメント (0) トラックバック (0) l top
昨日の夕方、パラグアイの首都・アスンシオンに到着ー!
早速セントロに行くと、、、
店がどこも開いてない!!
お店どころか、人もほとんど歩いてないし。。
ほんまにこれが首都!?と思うほど閑散としている。

↓セントロなのに、誰もいません。。
060514a.jpg

060514b.jpg


そういえば、明日月曜日は独立記念日で祝日だった。
だからみんなお出かけしてるのねー。。
アスンシオンでは航空券の日程変更をしようと思ってたのに、
おかげでアスンシオンで1泊の予定が3泊することになっちゃいました。

そういえば、これまでチリのサンチアゴ、
アルゼンチンのブエノスアイレスと、
祝日の時に首都にいて足止めを食らってるなー。。笑
外国の祝日は、日本よりも全然少ないのに。

国によっては、州や県によって祝日があるところがあります。
皆さん、海外旅行の際には祝日やお祭りに注意しましょうねー!

2006.05.14 Sun l パラグアイ l コメント (4) トラックバック (0) l top
ここイグアス移住区に移民してきた人々が最初に作ったのは、
日本語学校だった。
日本の心を、言葉を、忘れないでほしい。
親たちの切実な願いで、みなでレンガを積んで、作った学校。
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その思いを未だ受け継いで、今の日本では失われつつある、
「しつけ」をメインにした日本語教育を行っておられる。
実際、この学校に通っている子供たちは、きちんと挨拶ができる、
礼儀正しく、しかも明るい元気な子が多い。

朝からスペイン語学校に行き、通常の授業を受け、
午後から日本語学校で日本語の勉強をするという生活。

今では40%がパラグアイ人で、一から日本語を学んでいる。
日本語を勉強すれば、将来、よい職があるかもという、
親の切実な思いが伺える。


卒業生の夢は、日本に行くこと
この言葉を聞いて、ちょっと複雑な思いになった。


イグアス市の若者は、日本に出稼ぎに行くことが多く、
その40%が帰ってこないという。
こちらの1年の収入が、日本でなら1ヶ月で得ることができるから。
しかし、一方では日本の息苦しさに耐えれず、
こちらの生活が良いと帰ってくる人もいる。

たまたま、ついこの間日本に出稼ぎに行っていたという人と、話す機会があった。
彼はちょっと酔っぱらっていて、ぽろっとこんな話をした。


日本人は、海外に来ると、ここに日本を求めてやってくる。
自分たちは日本から来てくれた日本人を、同じ日本人としてもてなす。
しかし、自分たちが日本に行っても、
自分たちはガイジンとしか見てもらえない。
日本が自分たちを受け入れてくれるのは、
日本人が嫌がる3Kの仕事だけだ。
日本人はここに旅行するだけのお金を簡単に稼ぐことができる。
でも、自分たちは10年働いても稼ぐことができないんだ。


何と応えたらいいのか、わからなかった。


私は、この旅を、観光旅行で終わらすのが嫌で、
3つの質問をしてみたり、観光地以外の場所を尋ねたりしている。

世界で何が起こっているのか、人は何を考えているのか、
それを知りたいと、思って旅をしているけれど、
知ることは、辛いことでもある。


今の私には、答えは出せない。
ううん、答えなんて、無いのかもしれない。
でも、それをそのまま終わらすのは、
知ってしまったからには許されないことのように思う。
せっかく日本という恵まれた国に生まれることができたのだから、
なにか、できることがあるはずと、そう信じている。

そして、それが何なのか、この旅で見つけることができればいい。
見つけたい。心底、思った。

2006.05.13 Sat l パラグアイ l コメント (0) トラックバック (0) l top
ここイグアス市では、和太鼓を作ってます!
おそらく、日本でも和太鼓を作ってる現場を見れる機会は少ないでしょう。
ということで、見学しに工房へお邪魔した。

行くと、ちょうど皮を張っていて、和太鼓が完成する直前でした!
太鼓は、大木から胴の部分をくりぬき、磨いて形を整え、
2年以上乾燥させた後、最後に牛の皮を張って、完成する。

↓くり貫く前の大木。直径1.5mほどあります!
 おそらく樹齢何百年でしょう。。
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↓大木からくり貫いた型。2年間乾燥させます。
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↓ニスを塗って、後は注文が来るのを待つだけ。
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↓牛の皮をしっかり縛り、下から圧力をかけて皮を張る。
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↓上から足で踏んで、皮を伸ばす。
 音を確かめながら、何度も繰り返して皮を張っていきます。
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↓ちゃんと音が出るようになれば、いよいよクギ留め。
 クギの位置もしっかり測ります。
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↓クギで皮を留めます。
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このクギ以外は、すべてパラグアイ産です。

↓できあがり~!
 滅多に見れない完成の場面に立ち会えました!
060512h.jpg


この和太鼓製作が始まったのは、4年前にITOという
和太鼓グループの兄弟がここイグアス市に移住したことから始まる。
和太鼓演奏で南米を回っていた時に、この地を気に入り、
そのまま住み付いたそうだ。
そして、南米で和太鼓を作るという産業を興し、
今では子どもたちに和太鼓のレッスンもしている。

でも、昨年から?京都議定書を基にした法律で、
木を切るのが制限され、今後の和太鼓の製作が厳しくなるそうだ。

環境問題の観点から考えると、
もちろんこんな大木を切り倒すのは良くないこと。
でも、日本人からすると、
日本の伝統文化を途絶えさせるのは悲しいとも思う。
まあ、和太鼓に限らず、日本の木を切らずに
海外の木を切ってることがどうかと思うけど、、。

木を切ったら植林する。そんな循環がうまく行けばいいんだけどなぁ。

2006.05.12 Fri l パラグアイ l コメント (0) トラックバック (0) l top
イグアス市に広がる大豆畑。
移住してきた当初は、大きく深い、熱帯雨林が広がっていたらしい。
二人でも腕が回らない大きな木が沢山あり、黒ヒョウがそこら辺に
うろついていて、夜はホタルが飛び交っていたという。
今はその面影は無く、ただ広々とした畑が広がる。


ここに暮らしている日系人のほとんどが、
地主として、大規模農業に従事している。
大豆は、遺伝子組み替え大豆。
主に、ブラジルに輸出され、食用油になる。
搾りかすは、飼料用でヨーロッパに輸出されているらしい。

今ではほとんどの農家が遺伝子組み換え大豆を作っている。
南米一の大豆生産量を誇る、ブラジルも同様らしい。
遺伝子組み換え大豆であってもなくとも、
価格がほとんど変わらないということと、
遺伝子組み換えであれば、生産コストが低く抑えられることが理由らしい。

例えば、除草剤に強くなるよう、遺伝子を組み替えてるため、
草をむしる必要は無く、除草剤を撒けば草だけが枯れる。
だから、人手が必要なくなり、
人夫として働いていた人々は職を失っている。
その大半が、パラグアイ人だ。
大きな土地を持っている人はますます富み、
貧しい人はますます貧しくなる。
パラグアイ人と、日系人との経済格差が、問題になっているらしい。


今、世界は大豆を求めている。なぜかというと、
以前は輸出をしていた中国が、輸入高、世界トップに躍り出たから。
日本の4倍の量を、輸入している。

これは、中国の生活レベルがアップし、肉を食べるようになったためだ。
肉を生産するには、たんぱく質の多い、効率の良い飼料が必要になる。
これが、大豆カス。

1キロの肉を生産するのに、必要になる穀物量はその10倍の10kg。
世界では、今日食べるものも無く、死んでいく人がどれだけいることか。
肉食をやめれば、世界中の人間が食べるに困らないと言うのに、
私達は、肉を食べることを、やめることができない。

その膨れ上がる欲求に応えるため、より効率的な畜産方法が生み出された。
昔は、牛を自由に放牧し、自然に育てていたが、
今は効率を上げるため、まとめて小屋に詰め込んで、ホルモン剤をあたえ、
肉をやわらかくし、早く成長させ、栄養のおおい飼料を食べさせる。

大きく豊かな土地を持っている、ここパラグアイでも、
そのような効率重視の畜産家が増えてきたとのこと。
ちなみに、パラグアイの輸出高の第一位は牛肉。二位が大豆だ。


しかし、この大切な大豆、イグアス市ではここ3年、不作が続いている。
雨が降らないというのだ。
森が無くなり、昔は吹かなかった強い突風が吹くようになったと。
乾季と雨季との境目が、だんだん無くなり、降るべき時期に雨が降らない。

土地も、農薬で汚染されている。
除草剤を撒くことで、近隣で育てている農薬に弱い野菜が枯れる。
果物が育たない。川は汚染され、近頃、川の水を飲む人はいなくなった。


人々が、更なる食生活の向上を求めるため、
世界はゆっくりと壊れつつあるんじゃないか。

ブエノスアイレスの食べ放題の店の前で、
「食べ物をくれ」と叫んだ老婆の顔が思い出された。

一部の人が肉を食う。腹いっぱいに食べ物を詰め込む。
他の人たちは、牛が食べるものさえ、食べることができない。

一部の人の胃を満たすために、地球はどんどん壊れていく。


日本は、これからどちら側になるんだろうか。
このまま、一部に入る続けるのか?
食料を輸入に頼りきっている国が、
地球が壊れて食べ物がなくなったとき、
果たして、生きていくことができるんだろうか。


日本が死んでしまう日は、そう遠くないのかもしれないな。
そんなことを、日本の裏側に広がる大豆畑の前で、ぼんやりと考えた。

2006.05.11 Thu l パラグアイ l コメント (0) トラックバック (0) l top
シウダーデルエステから西に50kmほど行ったところに、
Yguazu(イグアス)市というところがある。
この町は、1961年からの日本人の移民から生まれた町だ。

移民についてはあまり知らないかもしれませんが、
南米にはたくさん日本人移住地があり、
有名なサンパウロの日系人街もそのうちの1つです。

ここイグアス市もまたその1つで、
1990年代にヤクルトスワローズで活躍した岡林投手の出身地でもある。
今では約180世帯、900人の日系人と、9,000人のパラグアイ人が住んでます。

移民は、第二次世界大戦前後に、
ペルー、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビアなど、
政府推進の下、南米各国に移民が行われた。
日本政府は、(戦後の)物が乏しい時代に
少しでも人を減らしたいために移民を奨励し、
受入国は農業開発のために移民を受け入れる。
移民者は、戦後の貧しさから逃れ、新しい土地に夢を求めて海を渡った。

↓移民時の荷物。
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↓移民時のパスポート。
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↓移民後の生活用品。
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↓移民の広告ポスター。
060510d.jpg


ここパラグアイも同様で、「明日の国パラグアイ」と宣伝され、
機械を用いた大規模農業ができると信じて移民した人が多い。
(本当のところは、やることすべて明日に回す「明日(マニャーナ)の国」で、
 聞いていたことと実情は大きく違ったらしい。)

元々パラグアイは農業移民を受け入れるという条件だったので、
農業をやっている移民が半分以上を占める。
主に、大豆と小麦を作るのが盛んだ。
もちろん町を作り上げるまで、かなりの苦労があったそうだ。


僕らがここに来ると、いろんな人が声を掛けてくれる。
道端では普通に挨拶をしてくれるし、どこから来たの?と話しかけてくれる。
役場に行けば、事務局長さんが時間を割いてくれて
僕たちにいろんな話を教えてくれるし、
仲良くなった人からも、移民時の船での話、農地を切り開いた話、
ここであった思い出深い話など、いろんなことを聞かせてくれる。

年齢に関係なくご近所同士でお話したり、
時間に追われることなく生活しているのが、羨ましく感じた。
今の日本(都会)がなくした風景のように思えた。

↓イグアス市の街並み。赤土と青空のコントラストがきれい!
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↓公園で遊ぶパラグアイ人親子。奥には鳥居があります!
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↓移民の様子を表した壁画。
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↓岡林投手も投げてた野球場。
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2006.05.10 Wed l パラグアイ l コメント (0) トラックバック (0) l top
何がって、ダムです、ダム!!
とにかく、超巨大ダム!!!
そのダムから放出される水は、イグアスの滝を凌ぐと聞き、
これは見とかんと、と見学へ。

このダムは、ブラジルとパラグアイが共同で、
着工から16年の歳月をかけて建設された。

電力発電タービンを18基備え、
タービン0.5基でパラグアイ全体の電力をまかなう事ができる巨大さ。
総出力、1260万KWの、北南米一のダム。

シウダーデルエステは、このダムを作るための人々が集まって、
パラグアイ第二の都市まで発展したのだ。
建設時は1日4万人、このダムで就労していたそう。

そして、このダムの建設で、イタイプー湖という湖ができてしまった。
貯水面積1360平方キロメートル。
広大な森を湖の底に沈めている。


さて、その巨大ダムなんですが、
私達が見学に行ったところ、乾季で水が少なく、
結局水の放出は見ることがデキマセンでした。。。
なぜか、小学生と一緒に見学しました。↓
060509a.jpg

この白いのが、発電をしているタービンがあるところ。↓
060509b.jpg

せっかく来たのに、ちょっと拍子抜け。
損した気分になったので、少しでも元を取ろうと
(まぁタダなんだけど、ここに来る労力が結構かかったので)、
湖の底に沈んでしまった森に住んでいた動物たちが、
保護されているという動物園にも行くことに。


ところがこの動物園、閑散としていて、人っ子一人おらず。
しかも、面積は広いくせに、動物を入れている小屋は
小さく狭く、汚い。

鳥たちは飛ぶこともできず、ヒョウやピューマは駆ける事もできず、
薄汚い小屋の中で、ぼぉっとした目で宙を見ているだけ。

もし、ダムができなければ、こんな小屋に詰め込まれること無く、
自由に森の中で生きることができていたはずなのに・・・。
060509c.jpg


ダムがあるからこそ、安価で安全な電力が供給されている。
日本のように、破滅と隣り合わせの原子力発電に頼る必要も無い。
しかし、このダムのせいで、住処を失った動物たちは、
いったいどれくらいいるんだろうか。


結局、ものすごくうら悲しい気分になって、ダムを後にしたのでした。
ダムを超巨大にするなら、
ぜひ、動物園の小屋も、超巨大にしてあげて下さい。。。

2006.05.09 Tue l パラグアイ l コメント (0) トラックバック (0) l top
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